この一連の写真を受け取った瞬間、時の流れの早さをしみじみと感じました。カメラマンの与風先生と最後に撮影の約束(約拍)をしてから、まるで一世紀もの長い時間が経ってしまったかのようです。今回のロケーションは満開を迎えた月季(バラ)園に設定され、風はとても穏やかで、太陽の光が雲の隙間から差し込み、温度も光と影の塩梅もまさにぴったりでした。演じたキャラクターは原神の八重神子で、ピンク色の咲き誇る花々と白いスカートの裾に映え、今回のスタイリングはいつもよりどこか優しい雰囲気が漂っているように見えます。
八重神子を出す上で最も楽しいのは、彼女のピンクのロングヘアと、金色に輝く神の目の造形をいじることです。頭上の環状の金飾りや、耳元の象徴的な装飾はウィッグのスタイリングの安定性が非常に試されますが、与風先生の指導のもと、キャラクターの持つ神韻(オーラ)をできる限り再現できるよう努めました。白いドレスの裁断は歩くときの動的な美しさがとても試され、スカートの裾にあしらわれたレースのディテールが光を浴びて非常に高い質感を見せてくれます。今回は首元に合わせる蝶の装飾も特別に用意し、キャラクターの設定とほんの少し呼応させつつ、視覚的なちょっとした見どころ(アクセント)としました。
今回の撮影では、いくつかの異なる構図やポーズを試みました。原神のキャラクター自身が持つ、優雅でありながらもどこかお茶目な設定に合わせるため、私たちは自然に歩き回る瞬間をたくさんスナップ撮影しました。手にした花束も事前に用意しておいたもので、単に指先を動かしてポーズを作るよりもはるかに生き生きとした表情になります。目を閉じて微風を感じる姿、うつむいて蝶を眺める仕草、そして振り返ってレンズを見つめるいくつかの断片が、この作品群の小さなストーリーを構成しています。カメラマンの与風先生はこのような花の中での光の捉え方が非常に上手で、複雑な環境色の中でも人物の肌の透明感をしっかりと維持してくれました。
レタッチ(修図)のプロセスは、まさに「痛快でありながらも苦しい」ものでした。かなり長い間後期作業をしていなかったため、私のレタッチ速度は大幅に低下してしまい、やはり技術というものは常に練習していないと鈍るものだと実感しました。ただ幸いなことに、今回の原画は光と影の土台(ポ底)が素晴らしかったため、自分の技術的なブランクを補うべく、後期編集では画面の色彩と明暗のコントラスト度をストレートにワンランク引き上げ、最終的な仕上がりにあの透明感と夢幻的な雰囲気を持たせられるようにしました。時には、シンプルで直接的な色調補正のプランのほうが、コンディションが万全でないレタッチャーの手を救ってくれることもあります。
八重神子というキャラクターは、本来どこか気怠げで世の理を見通しているような知性を持ち合わせていますが、花の中でこのキャラクターを出すときは、彼女の内面にある優しさとロマンスをより表現したいと考えました。衣装の「白」と環境の「ピンク・グリーン」は非常に相性が良く、レタッチでは植物のリアルな色調を残すことで、自然環境と人間との融合度を高めました。このような画面には、華麗な言葉をたくさん積み重ねる必要はなく、原画を見るだけであの静かな空気感を感じ取ることができます。
準備段階では、白いグローブと白いドレスを綺麗に合わせることに実はかなりの工夫を凝らしました。グローブのレースの切り替えディテールは手にぴったりとフィットさせる必要があり、花束を握りやすくしつつ、画面に写ったときに不格好に大きく見えないように配慮しました。ウィッグのカラーには非常に柔らかなサクラピンクを選び、あえて重すぎるセットはせず、なびく質感(飄散感)を残したため、風に舞い上がった瞬間が非常に写真映えしました。
撮影の途中、カメラマンから重心の置き方や手元のアプローチを何度も指導され、道具を持たない状態だと確かに手が手持ち無沙汰になることに気づかされました。花束という媒体(オブジェクト)が加わったことで、身体全体の言語(ポージング)が自然なものになりました。私は、花束を抱えて少し体をひねりながら振り返る数枚のカットが特に気に入っています。キャラクターの持つ落ち着きがありつつも、日常の中の何気ない気怠さが表現できていると感じるからです。
もちろん、原神のゲーム内の八重神子は、設定上、彼女の象徴である紫色の雷元素のシンボルなど多くの華やかな要素を身に纏っています。衣装の素材やロケーションの制約上、今回のコーディネートは、彼女があるのんびりとした午後に庭園で過ごす際のお忍びの「私服バージョン」に近いものになりました。私にとって、コスプレの意義は100%の再現だけにあるのではなく、異なるシチュエーションや光と影を通じて、キャラクターのまた別の一面を表現することにもあると考えています。
キャラクターや撮影について色々と語ってしまいましたが、本当に伝えたかったのは、どれほど久しぶりの撮影であっても、技術がどれほど鈍っていようとも、撮影時にキャラクターに溶け込み、そのプロセス自体を楽しんでいれば、出来上がった作品には必ず「霊気(生き生きとした魅力)」が宿るということです。この風和むうららかな午後、私と月季園、そしてあのピンクの蝶のすべてが、素晴らしい思い出になりました。