今回の五更瑠璃の写真を撮影し終え、生データ(原画)を見返したとき、実は非常に大きな挫折感が心を満たしていました。
まったく同じメイクとウィッグなのに、ただ全く異なる2着の衣装――1着は赤リボンを合わせた濃紺のセーラー服、もう1着はレースのフリルと紫のヘアアクセサリーをあしらった王道のゴシックロリータ――を着替えただけで、表現されるキャラクターの気質がガラリと180度変わってしまったのです。
これも私がコスプレを始めて以来、直面している最大のジレンマ(困境)の1つです。キャラクター自身に極めて強力な個性のラベルがあり、黒猫の中二病っぽさ、孤高なプライド、コンプレックス、そして主人公や妹たちに対するどこか不器用な優しさ。このような複雑な特質を自分自身のレンズ言語(カメラワーク)に落とし込もうとするのは、単にコーディネートを合わせるだけで誤魔化せるような生易しいものでは決してありません。
まずセーラー服のスタイリングを見ると、襟元の白いフチ取りと赤のストライプ、袖口の白いフチは、まさに王道のスクールスタイルの定番です。私は不透明な黒タイツを履き、エナメル調の黒いローファーを合わせました。1枚目の写真では、幾何学模様の椅子に腰掛け、手元に上品な紫色のギフトボックスを抱えています。2枚目では、片脚で立ち、オレンジ赤の雑誌を手にしてお茶目なポーズをとってみました。3枚目は横を向いて少し斜めに座り、視線を落としながら也やはりあの紫のボックスを持っています。しかし、ポージングをできる限りキャラクターのいつもの仕草に近づけようとしても、カメラを通して見ると、自分自身がただJK制服コスプレをしただけの普通の女の子に見えてしまい、キャラが放つべき独特の「オーラ(気場)」が決定的に欠けているように感じてなりませんでした。
视線を4枚目に移すと、あの黒白ゴシック調のドレスに着替えています。幾重にも重なる白いレースのフリル、黒い編み上げリボン、胸元の紫色の小さな花、そしてヘアアクセサリー。足元にはライトグレーのタイツと黒のエナメルメリージェーンシューズを合わせ、傍らにはゲーム機やドライフラワーのガラス瓶をあえて配置しました。このロリータファッションを身につけると、確かに「五更瑠璃」という存在にずっと近づけたような気がしましたが、同時に、私の持つ個性とこのキャラクターとの間には、目に見えない壁がそびえ立っているようにも感じました。カメラマンの前に立ったとき、キャラクターを完全に掌握しきれていない焦燥感が、あまりにも鮮明に突き刺さってきました。
「伏見(司)の奴め、許すまじ!我は黒猫と共に生きて共に死す!」この台詞は、多くの人々の青春における涙腺崩壊のフレーズであり、私自身のこのキャラクターに対する想いの証でもあります。彼女はただ一見して陰気に見えるだけではありません。彼女には彼女自身のこだわりと誇りがあるのです。彼女を好きになればなるほど、自分の細かな表情や立ち振る舞いのひとつひとつが、彼女の魂を精密に捉えて表現できるようにと願ってしまいます。しかし、今回の写真は私の基本的な表現力の力不足を露呈させてしまいました。
今回の撮影は、環境や光と影の演出にかなり力を入れました。過剰に幻想的で、現実離れしたスタジオ撮影感を避けるため、とても居心地の良いリアルな生活感のある部屋を選びました。ベージュのカーテンを半分閉めて柔らかな自然光を取り込み、白いファーマットの上に木漏れ日のような影を落としています。ラタンの椅子、サイドテーブルの上の小物たち。これら日常の要素は、二次元キャラクターが三次元の現実に自然と溶け込めるようにするための工夫です。
レンズを通してこれら2つのスタイリングの差異を何度も見比べながら、これこそがコスプレ撮影の繊細かつ非常に興味深い部分だと気づきました。同じ人物、同じベースメイク、視線や体全体の癖さえほとんど変えていないのに、衣装という名の「スキン(外見)」が、見る人が抱くキャラクターの第一印象を本当に変えてしまうのです。この強烈なギャップ(乖離感)と違和感こそが、私に「最大の挫折感」を抱かせた核心的な原因でした。
しかし、視点を変えてみれば、この挫折感こそが私がレイヤーとしての道を歩み続けるための原動力になるのではないでしょうか。大好きなキャラクターに対峙するときこそ、「似ていない」状態から「徐々に近づいていく」過程を自分自身に許してあげるべきです。今回の写真には心残り(遺憾)が生じたものの、ライティングや衣装コーディネートのディテール、さらにはタイツの質感に至るまで、非常に満足のいく仕上がりになりました。これこそが「厚黒(ダークエステティック)」の美学の魅力です。少し物憂げで重たい二次元設定であっても、日常の柔らかな光線の下で唯一無二の美しさを表現することができます。
というわけで、今日のつぶやきはここまで。今回の写真集は決して私のゴールではなく、このキャラクターを改めて見つめ直し、理解するための新たな出発点です。次にカメラの前に立つ時は、もっと自信を持って彼女の魂を表現できるようになっていたいと思います。